その時の想いをその時代の記憶を生まれくる人々のためにことばで繋ごうみんなで創ろう千年続く、こころの物語

宮城県エリア巡礼地

1 早馬神社

神社は海抜12メートルの高台にありますが、大津波に襲われました。震災時は、逃げてきた近所の方や、お参りしていた方と、早馬神社よりさらに上の、石段の上にある別の社まで逃げ、そこでしばらく暮らしたそうです。

◇こころのみちの物語「早馬神社~海からの贈り物~」
近頃の若い人は…、いつの時代にでも登場する若者への批評的なこの言葉を、何度耳にしてきただろうか。
目の前で、自分たちのために泥を片付け、瓦礫を撤去し、持てる力の全てを使って1ミリずつでも前に進もうとしているボランティアの姿を見ながら、早馬(はやま)神社の宮司である梶原忠利さんは思った。

とんでもない。こんな、夢なら今すぐに覚めてほしい絶望的な状況の中、自分ではない誰かのために復旧活動を行い、前を見つめて強くたくましく一歩ずつ歩みを進めているのは、今ここで身を粉にして支援してくれている彼らではないか。

そして、自分ではない誰か、とは他ならぬ私たちのことなのだ。

被災した私たちのために彼らは、泥だらけになり自分の労力を惜しみなく提供してくれている。言葉でも思想でもない圧倒的な事実を目の当たりにして、口では言い表せないほどの感謝と、人が繋がることの素晴らしさを感じていた。

彼らがこの地に来てくれるようになり、ほんのわずかでも気持ちを立て直して、周りの状況も見えるようにはなってきたが、被災した直後は自然の驚異になす術もなく、全てが飲み込まれていく状況の中で何も考えることができなかった。
早馬神社は建保五年(1217年)に創建され、古くから「早馬さん」と称されて信仰され、「森は海の恋人」で有名な舞根、宿浦のリアスの入江に鎮座している。

震災の大津波により、海抜12メートルの高台に位置する早馬神社にも、それを上回る15メートルの大津波が襲い、拝殿、社務所、宮司宅が約2.5メートル浸水し、全ての道具が粉砕され、この地、気仙沼市唐桑町の宿浦地区では早馬神社が辛うじて残ったのみだった。

早馬神社には、5家族が取り残され、唯一携帯電話の繋がる早馬山から救助を要請したが、そんな時すぐに駆けつけてくれたのは、報徳二宮神社(神奈川県小田原市)の草山宮司だった。
歩くことすらままならない状況の中、早馬神社へ辿り着くことすら大変な困難であるのにも関わらず、救助に来てくれた草山宮司に勇気づけられ、残された人々は今こうして互いに協力し合い生きている。

日々精力的に復興をお手伝いしてくれているボランティアの中には、遠く西の名古屋から来ている方もいる。地域の人の負担にならないよう朝来て夜帰る日帰りの強行軍日程のなか、中学生から70歳位までの老若男女が、地域や年齢を超えて被災地支援と復興という大きな目的のために活動している。

そんな沢山の人々の支えと協力で、震災以前の生活とはほど遠い状況ではあるものの、ほんのわずかではあるが落ち着きを取り戻そうとしていた3ヶ月目のある日、梶原忠利さんはある光景を目にする。

海の浅瀬を元気に泳ぐ小魚を見つけたのだった。
3ヶ月前には想像もできなかった、小魚が悠々と泳ぐ姿を見つめながら、ふと改めて周囲を注意深く見渡してみると、大津波により黄緑色の不気味な色に濁った海が、いつの間にか澄みはじめていることに気づいた。

復活に向けて尽力しているのは、私たち人間だけではない。
自然も、海も、この3ヶ月間全力で自分を回復させていたのだ。梶原さんは、以前のような穏やかで美しい姿を取り戻しつつある海のとてつもない生命力に驚愕すると同時に、あの時何もかもを奪っていった自然から、今度は将来にむけた一筋の光を与えてもらった気がして、私たちは必ず再生できると強く確信したのだった。
(文責:東北お遍路プロジェクト 共同代表高橋雄志)
所在地:気仙沼市唐桑町宿浦75