その時の想いをその時代の記憶を生まれくる人々のためにことばで繋ごうみんなで創ろう千年続く、こころの物語

宮城県エリア巡礼地

19 仙台空港

◇こころのみちの物語〜こころに刻まれたエピソード〜「ありがとう作戦」

地震発生の3月11日夜に正式に日本国から当時の駐日アメリカ大使に在日米軍の支援要請。これに対して米軍は人員25,000人、艦船24隻、隻航空機190機を動員して大量の食料・水・燃料・毛布を配布するという大規模な支援活動を展開しました。いわゆる「トモダチ作戦」です。

今回のこころのみち物語は、プロジェクトメンバーがこの「トモダチ作戦」の際に支援物資の重要集積拠点となった仙台空港の関係者さまよりお聞きした当時のお話をエピソードにしました。
メンバーが訪れたこの日も仙台空港では、空港ビル1階柱に刻まれた約3m浸水高表示や、全国空港職員からの頑張れの寄せ書き、全世界の人々からの応援メッセージ、空港被災状況の写真パネル展示などが、見る人を瞠目させ、涙ぐんでいる人もいました。

仙台空港周辺では、地震発生直後から職員・旅客・周辺住民1400人が空港ターミナルビルに避難、約1時間後3mを超える津波が押し寄せました。旅客機は無かったものの駐車場の車両、滑走路の小型機・ヘリコプターが津波に呑み込まれ空港としての機能を失いました。
それでも、仙台空港は「トモダチ作戦」の支援物資の重要集積拠点として、震災直後、軍用機の強行着陸で復旧用機材・車両の輸送を行い、臨時航空管制を確立や瓦礫・損壊車両を撤去し輸送機の離着陸ができるまでに要した期間はわずか5日間という驚異的な速さで空港機能を復活しました。
この多くの人々の努力により奇跡的に成し得たと言っても過言ではない緊急回復作業によりその約1ヵ月後となる4月16日には民間航空臨時便運行開始。トンネルが水没していた仙台臨空鉄道も半年後10月1日に復旧しました。

そんな中、まだ米軍による復旧支援活動が続いていた4月1日、仙台空港に一人の若者が訪れます。
「拝啓トモダチ作戦に参加されている合衆国軍全将兵の皆様」で始まる手紙を持って「ありがとう作戦」を行なうために。彼は、働いている米軍関係者一人ひとりに感謝の気持ちを伝えたかったといいます。
対応してくれた関係者が日本語が流暢だったこともあり、彼の周りには海兵たちが次々と集まり「サンキュウ、トモダチ・・・・・」「アリガトウ・・・・・」など日本語での会話が飛び交い「海兵隊にいて長いが、こんないうれしいことは無かった」と温かく迎えられたそうです。
また、彼の「ありがとう作戦」はその手紙だけではなく、その後、仙台空港から太平洋側2kmの砂浜に移動し、津波で倒された松などを使い上空から見えるように「ARIGATO」の文字を書いのだそうです。彼が感謝の思いを込めて書いた砂文字はそれから1週間後の4月8日になって米軍関係者により発見されることとなりました。米軍関係者は彼の精一杯の「ありがとう」という気持ちを受け取り「仙台空港においてトモダチ作戦にかかわった米軍はすべて本州・沖縄の駐留部隊である。支援活動に派遣された全米軍人に代わって言いたいことは、我々を迎え入れてくれた友人であり、隣人の日本人を支援できたのは名誉だということです。」と述べていたそうです。

私たちは「トモダチ」という言葉にたくさんの勇気をもらい、彼ら米軍は「ありがとう」という感謝に名誉と誇りを抱いた。「トモダチ」「ありがとう」この短い言葉で、国や立場を超えて人と人が繋がることができること。もしかしたらそれは、どんなことよりも強い結びつきとしてこれからもずっとずっと息づくことのできる絆となるのかもしれません。

(文責:一般社団法人東北お遍路プロジェクト理事 会沢公平)

所在地:名取市、岩沼市(宮城県名取市下増田南原)