その時の想いをその時代の記憶を生まれくる人々のためにことばで繋ごうみんなで創ろう千年続く、こころの物語

宮城県エリア巡礼地

24 山元町磯崎山公園(唐船番所跡)

外国船監視のために1646年(正保3)に設置された番所跡。震災当時は周辺住民の数名がここへ避難したが東屋付近まで波が押し寄せ、皆死を覚悟したという。伊達政宗公が座ったと伝えられる石もある。

◇こころのみちの物語「「山元町磯地区 ?震災から4年4ヶ月?」        

「ここは生まれた土地なんだ。どこがいいって?そんなの理由はないんだ」
海沿いで福島県新地町との境に位置する、山元町 磯(いそ)地区。
漁師歴38年の猪又賢さん。今はヒラメやカレイが主にとれる。漁は休みで、磯浜漁港の一角でお会いできることになった。漁師の数は半減し、今は18人ほど。約140軒あった民家は、今は13軒に。「そこにも、あっちにも家があったんだ。酒屋、たばこ屋、雑貨屋もあったよ。」今は草むらや大きな水たまりになっている。

「お正月には元朝参りってやるんだ。近くの水神社にお参りして、観音堂に行くんだ。行ってみるか。」そう言って、水神社、観音堂と案内してもらうことに。水神社の境内には、蛇がとぐろを巻いた姿が刻まれた石碑が建っていた。水神社は海上安全、大漁満足を祈願する神社だ。観音堂は東北お遍路の巡礼地になっている「磯崎山公園」の上の方に再建されている。

「それから蛇塚もあるんだ。水神社のすぐ近くの沼にはその昔、大蛇がいて、それを祀った蛇塚があると昔、父親から聞いたんだ。」
観音堂の前を通り過ぎたところ、草むらをかきわけていかないとたどり着けない場所に、その蛇塚はあった。

「しばらくぶりだな」
そう言って手を合わせる猪又さん。私も横で一緒に手を合わせた。磯崎山公園には時々立ち寄っているのだが、ここで生活していた人、そして今も生活している人の声を聴いたのは初めてだ。ここには確かに暮らしがあったし、今もこうして暮らしている人がいる。暮らしがある。

「もうちょっとしたらあそこの草むしりやるんだ。その時はここを離れた人も戻ってくるよ」水神社のずっと向こうに見える山の中腹に、津波を免れた墓地が見えた。

何も知らなければ通りすぎてしまうかもしれない。そんな生活のヒトコマ、ヒトコマが確かにあったし、今もあるんだということを感じた。

山元町、そして東北お遍路の巡礼地にお越しの際には、猪又さんの話を思い出していただけたらと。そして巡礼地をめぐって感じられたことも合わせて、みなさんの大切な方々に語り継いでいただけたらと思います。

今日は震災から4年4ヶ月です。 

【文責:一般社団法人 東北お遍路プロジェクト会員 遠藤恵子】   
所在地:山元町坂元字浜谷地45(山元町坂元字浜谷地44-1)